|
猫 ひろし(ねこ ひろし、1977年8月8日 - )は、日本で活動している千葉県市原市出身のお笑いタレント、マラソン選手。2011年よりカンボジア国籍。本名:瀧崎 邦明(たきざき くにあき)〔猫ひろしブンティンが「僕より速いのは確か、現実をしっかり受け止める スポーツニッポン2012年4月16日では「お笑いタレント」。また2012年4月16日付のサンケイスポーツ猫ひろし「苦しい」五輪出場危機に/マラソン 、2012年4月14日付の朝日新聞では「タレント」となっており、本名も「滝崎邦明」と記載されている。〕。 千葉県市原市出身。WAHAHA本舗所属。千葉県立市原八幡高等学校、目白大学人文学部卒業。身長147cm〔猫ひろし (cathiroshi) - Twitter ツイッターで145㎝位しかないことも。〕。 体重45kg。血液型A型〔本人は猫型と主張。〕。 == 人物 == 小さい頃より背が低かった。ただし、顔は小学3年の頃から老けて見えたため、低身長の人にありがちな「子供料金でバスに乗った」といった類の話とほぼ無縁であった。むしろ「学生なのに学割を利用できない」といった苦労を味わったという〔【タキザキ坊ちゃん物語】 猫ひろしコラムブログ 2009年05月08日〕。このように、ブログ等でしばしば自身の身長が低いことをネタとして話している。 千葉県立市原八幡高時代からお笑い芸人を志し、上京するために目白大学に入学。大学時代は、友人を強引に誘って路上で漫才を披露したりもしていた。大学卒業後は、フリーのピン芸人として漫談を行っていたが、それを見た先輩から「只の落ち着きの無い人だ」と指摘されたことで独自のスタイルを模索し、ギャグを言い続ける現在のスタイルに行き着く。 師匠に当たるハチミツ二郎が社長を務めていたインディーズお笑い事務所「トンパチプロ」で活動。2003年3月15日にデビュー。現在の芸名である「猫ひろし」を名乗る以前は、師匠のハチミツ二郎から「タランチュラ」とつけられたのを始めとして一年間に30回以上改名したとブログで語っている〔【我が輩も“猫”である】 猫ひろしコラムブログ 2008年12月12日〕。 「猫ひろし」の芸名の由来は、舘ひろしの「たち」を同性愛用語の攻め役「タチ」と捉え、それに対しての受け役を意味する「ネコ」≒「猫」に変えたものである。命名時、ハチミツ二郎により「東京都港区六本木出身」「ピエロの父とダンス教室の生徒である母の間に生まれる」「米ミネソタ州立大学機構 (MnSCU) 秋田校に駅前留学後、目白大学文鳥部卒」等の架空の経歴が付けられる。これらは公式サイトでも経歴として紹介されているが、『キャプテン☆ドみの』出演時は経歴詐称を認め学歴不明となっていた。WAHAHA本舗の演出家兼社長の喰始の目に止まる。 赤地に白のゴシック体で「猫魂」(そのすぐ下に「NEKO DAMASHI」)と表記されたTシャツ、ビキニパンツ一丁に裸足といういでたちで登場してネタを披露する。その特徴は、ハイテンションにひたすら一発ギャグのようにフレーズを連発するというもの。代表的な芸は猫の真似であり「ニャー」と挨拶をする。また口を開け、両手を前に出したポーズをする。2005年頃から徐々に知名度が上がりさまざまな番組にゲスト出演するようになる。2006年には女子高生ファッションモデル4人と企画ユニット「ソーランはっぴぃずと猫ひろし」でCDをリリース。 2000年代後半以降は当初バラエティ番組で“挑戦”的に始めたマラソンを本格的に取り組んでおり、アマチュア陸上選手としての顔も持つ(詳細は#マラソン選手としての節を参照)。 2006年12月10日、一般人女性と婚約。2007年4月28日に婚姻届を提出し、6月25日に結婚式を挙げた、「猫の飼い主が、見付かりました」とコメントしている。2011年2月11日、第1子となる女児誕生。2011年11月9日、翌年8月に開催予定のロンドンオリンピック・男子マラソンカンボジア代表を狙う為、カンボジア国籍となるが〔昨年カンボジア国籍に変更/猫ひろし略歴 - 日刊スポーツ 2012年3月25日〕、実績や居住年数などの点で要件を満たしていなかったため、ロンドンオリンピックに出場できなかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猫ひろし」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Neko Hiroshi 」があります。 スポンサード リンク
|