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猫田勝敏[ねこだ かつとし]
猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 1983年9月4日)は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市安佐南区安古市町(旧・安佐郡安古市町)出身。 == 人物 == 1964年東京オリンピックからモントリオールオリンピックまで、4大会連続でオリンピック出場を果たし、金・銀・銅の3個のメダルを獲得〔日本バレーボール界で3種類のメダルを持っているのは猫田と南将之のみ。〕、「世界一のセッター」と称された。またそのトスの正確さから、当時世に知られ始めたばかりのコンピュータから名を取って「日本のコンピュータ猫田」とも呼ばれた。 日本バレーボール協会の「バレーボール栄誉選手賞」受賞。国際バレーボール連盟の「世界バレーボール20世紀の最優秀賞特別賞」受賞。 努力家であり人格者でもあり、生涯をバレーボールに費やした。奇策「天井サーブ」を編み出したことでも知られる。練習、合宿、遠征、試合の連続で家族を顧みることも出来なかったが、それを思ってか胃癌に侵された際の闘病中に「かあちゃん、すまん」という言葉を残した。幻覚症状の出た死の直前の病床でも、ブロックサインを出し続けたといわれる。最期の言葉は「後1本……、後1本……」であったという。 自身の従姉妹の息子は、プレミアリーグ (バレーボール)のパナソニック・パンサーズでプレーし、後にビーチバレーに転向した今井啓介である〔ひとりの選手として 今井啓介オフィシャルブログ 2011年10月27日付〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猫田勝敏」の詳細全文を読む
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