|
『獣の戯れ』(けもののたわむれ)は、三島由紀夫の長編小説。3人の男女の間に生まれた奇妙な愛とその共同生活と終局への決断が、西伊豆の村の豊かな自然や花を背景に高雅なタッチで描かれた物語。扇情的なタイトルとは裏腹に、静寂的な作品となっている〔。1961年(昭和36年)、週刊誌『週刊新潮』6月12日号から9月4日号に連載され(挿絵:東山魁夷)、同年9月30日に新潮社より単行本刊行された。文庫版は新潮文庫より刊行されている。1964年(昭和39年)5月23日に若尾文子の主演で映画化された。 西伊豆町の黄金崎公園には『獣の戯れ』の文学碑があり、沼津港から定期船に乗り黄金崎の断崖の下を通過する際に見た景観を描写した一節が刻まれている。 == 作品成立・背景 == 『獣の戯れ』の執筆開始の前年1960年(昭和35年)の夏に西伊豆に背景の取材に行った三島由紀夫は、そこではまだプロットが決まらず、11月から外国に出かけ、そこで構想が浮かんだとして以下のように語っている〔。 三島は、「カラヤンの棒は音楽をはつきり目に見せる」として、「私はあんなに官能的なベートーベンを聞いたことがない」と評しつつ、「レオノーレ第三番」の「暗い世界苦の潮の中から壮麗な官能的な歓喜が徐々にわき起こる」音楽に魅せられたとしている〔。 なお、当初は小説前半のクライマックスを第3章にし、そこでアクセントをつけてから、間奏曲の第4章に入り、第5章から再び「漸層的に進んでカタストローフにいたる」プランで、「殺人」の場面も直叙するつもりであったが、終章で間接的に語らせることに変えたとし、それが「唯一の、また、重要な変更」だと述べている〔。 ちなみに、挿絵を依頼された東山魁夷は、『獣の戯れ』の原稿のコピーを読んでから、西伊豆の安良里に行き、また丹念に原稿を読んだという〔。東山はその感想を次のように述べている。 東山は、無名の学生時代にアルバイトで挿絵を描いたことはあったものの、画家として自立してからは初めての挿絵であったという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「獣の戯れ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|