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玉の海梅吉 : ウィキペディア日本語版
玉ノ海梅吉[たまのうみ うめきち]

玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 - 1988年10月23日)は、長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)出身の元大相撲力士。本名は蔭平 梅吉(かげひら うめきち)。
== 来歴 ==

=== 玉錦に見出されて入門 ===
1912年11月30日長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)で生まれる。当初から近眼だったために家業である真珠の養殖作業を継ぐことが出来ず、既に立派な体格をしていたことから宮相撲で活躍し、力士を志すようになる。1930年に同郷の肥州山栄を頼って上京したものの、既に巡業へ出発した後だったために入門は叶わなかったが、偶然そばを通りかかった玉錦三右エ門から見出され、二所ノ関部屋へ入門した。四股名は故郷・長崎県の名産である真珠をイメージして「海ノ玉」または「玉ノ海」で迷ったが、後者を選択したと後年になって語った。
筋肉質の体格で足腰が強く右腕の怪力も有名で、腕を伸ばしたまま大人を提げたり、宴席では右の拳に小柄な芸者を載せて持ち上げたほどだったという。右で前褌を取ってから左で相手の右手首を掴んだ上で立ち腰で出ようと試み、土俵際で残されたなら右から捻る力任せかつ強引な取り口で、1935年1月場所で新入幕を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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