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玉光国喜太郎 : ウィキペディア日本語版
玉ノ国光国[たまのくに みつくに]

玉ノ国 光国(たまのくに みつくに、1975年12月28日‐ O型)は、福島県西白河郡泉崎村(出生地は秋田県湯沢市(旧雄勝郡雄勝町))出身、東京都文京区育ちで片男波部屋に所属していた元大相撲力士。本名は、岡部光国(おかべ みつくに)、身長193cm、体重165kg。元関脇玉乃島の兄、元大関清國の甥、元プロボクサー・タートル岡部の長男。得意手は突き、左四つ、寄り。最高位は東十両7枚目(2001年3月場所)。あだ名は本名に由来する"黄門様"。
== 来歴 ==
子供の頃から相撲を始め、地元の文京区から相撲部屋に通って出稽古を行う生活を送っていた。小学校時代から数々の部屋の勧誘を受け、「中学卒業後は部屋に来てほしい」と期待されていた。だが母方の伯父である清国はタートル岡部及びその妻(清国の実妹)と折り合いが悪く、旧伊勢ヶ濱部屋には縁がなかった。〔清国は週刊ポスト誌上で一門の長でありながら現役力士の無気力相撲を批判したことがあり、特に甥である玉乃島を無気力相撲に染まった顕著な例として扱っていた。玉光国の四股名も本名に由来しているに過ぎず、清國とは無関係である。〕目黒高等学校(現・目黒学院高等学校)、東洋大学時代には全国大会に出場するなど活躍した。大学卒業と共に弟の新(のちの玉乃島)と共に片男波部屋に入門し、1998年3月場所に幕下付出から初土俵を踏んだ。着実に番付を上げて行き、所要8場所で1999年7月場所には十両に昇進した。
しかし、4勝11敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。2000年3月場所に東幕下5枚目の地位で7戦全勝の成績で幕下優勝を果たし、翌5月場所には十両に復帰した。暫く、十両に定着していたが、椎間板ヘルニアを患ってから精彩を欠く相撲が多くなり、2001年7月場所に幕下に陥落。以降、2年以上幕下上位で一進一退を続けていたが、2003年5月場所に東幕下4枚目で2度目の幕下優勝を果たし、翌7月場所には13場所ぶりに十両に返り咲いた。しかし、3勝12敗と負け越し、三度幕下に陥落した。その後は、腰痛の影響もあり三段目中位まで番付を落としたが、そこから這い上がり一年で西幕下2枚目まで番付を戻し、4度目の十両昇進も狙えたが3勝4敗と負け越し悲願は成らなかった。それ以降は幕下中位から下位に低迷し、2008年1月場所を全休したのを最後に現役を引退した。
引退後は赤木屋証券にディーラーとして勤務していたが、2012年2月末を以て退社。折しも赤木屋証券が証券業から撤退して喫茶店赤木屋珈琲の営業に専念する直前の時期であった。同年6月から元・若孜の中尾浩規がオーナーを務める「ジンギスカンゆきだるま両国部屋」での勤務を経て、2014年6月からは、新規開店した「ジンギスカンゆきだるま亀戸部屋」の店長に就任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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