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玉城町立玉城中学校(たまきちょうりつ たまきちゅうがっこう)は、三重県度会郡玉城町田丸にある公立中学校。玉城町が設置する唯一の中学校である〔金子(1983):238ページ〕。2014年5月1日現在の生徒数は17学級509人〔三重県教育委員会(2014):29ページ〕。 玉城町出身で朝日新聞社の創業者である村山龍平にちなんだ「村山賞」は、玉城中学校卒業生に贈られる〔「朝日新聞創業者龍平翁をしのぶ 玉城で生誕記念祭」朝日新聞2014年4月4日付朝刊、三重版25ページ〕。 == 沿革 == === 開校前史 === 学制改革により現在の玉城町に相当する地域には、1947年(昭和22年)に各町村に新制中学校が設置された〔。すなわち、田丸町に田丸町立城山中学校、東外城田村に東外城田村立中学校、有田村に有田村立中学校、下外城田村に下外城田村立下外城田中学校が開校したのである〔。田丸町は廃止された青年学校を利用して城山中学校の校舎に充てた〔。 ところが翌1948年(昭和23年)6月1日には「教育非常措置」により田丸町立城山中学校、東外城田村立中学校、有田村立中学校の3校は統合され田丸町外二ヶ村学校組合立城東中学校が開校した〔金子(1983):238, 243ページ〕。校舎は旧三重県立田丸実業女学校を利用した〔。下外城田村は翌1949年(昭和24年)に城田村と学校組合を結成し、下外城田村城田村学校組合立城下中学校となる〔。 1955年(昭和30年)4月、田丸町、東外城田村と有田村の一部が合併し玉城町が発足すると田丸町外二ヶ村学校組合立城東中学校は玉城町立城東中学校に改称した〔。1956年(昭和31年)には玉城町が下外城田村を編入、1町1中学校の理想が掲げられ、1963年(昭和38年)に玉城町立城東中学校と城下中学校の玉城町内の学区を統合し、玉城町立玉城中学校が開校した〔。玉城中学校の校舎は田丸城跡に建設されたため、一部では別の場所に建設するよう請願する動きもあった〔。また旧城下中学校の学区に居住する住民の中には玉城中への統合に反対する者もいたが、大きな騒動には至らず、無事開校した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉城町立玉城中学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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