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玉川カルテット : ウィキペディア日本語版
玉川カルテット[たまがわかるてっと]

玉川カルテット(たまがわカルテット)は浪曲を取り入れたボーイズスタイルの歌謡浪曲グループ。小松プロモーションを経てファミリーアーツ所属。
二葉の「♪ 金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」のギャグがお馴染みであった。玉川一門のお家芸である任侠物を得意にする。
==成員==

* 玉川ゆたか(たまがわ ゆたか):初代リーダー。本名:茶間豊〔http://www.acc-arakawa.jp/arakawa/036〕。1939年生まれ。神奈川県横浜市出身。1956年、3代目玉川勝太郎に入門し(初代)玉川福助を名乗った〔唯二郎「実録 浪曲史」巻末 最新浪曲家系図で確認。〕。コメディアン玉川良一は叔父弟子にあたる。『一本刀土俵入』『吉良の仁吉』『瞼の母』等を得意とした。1996年5月19日、肝臓ガンのため死去。バラエティー番組にもピンで時折出演していた。メンバーで唯一、楽器を持っておらず、迫力ある声とメンバーを叩いてツッコむために持っていた扇子がトレードマークだった。
* 松木ぽん太(まつき ぽんた):三味線担当。1937年生まれ。福岡県出身。幼少時からバイオリンを習い、続いてウッドベースもマスター。浅草常盤座専属楽団員を経て、1958年からは天津羽衣歌謡浪曲バンド「木の実グループ」で活動。楽器は一通りこなす芸達者で、三味線の早弾きで場を盛り上げる。おかまキャラで、ネタでは必ず女性役を演じた。素通しのロイド眼鏡がトレードマーク。
* 二葉しげる(ふたば しげる):ギター担当。1939年生まれ。コミックバンドのメンバーを経て、1964年に上京し二葉百合子や4代目天中軒雲月に師事する。1965年に松浦と共に玉川ゆたかに誘われ加入。コブシ回しが売り物。メンバーの中で一番背が低く「金も要らなきゃ 女も要らぬ 私ゃも少し 背が欲しい」という一節は「玉川カルテット」の代名詞となっていた。
* 松浦武夫(まつうら たけお):前ギター担当。1938年生まれ。長崎県出身。1964年、「あきれたトリオ」に加入、翌年二葉と共に移籍し、天才バカボン忍者ハットリくん似の愛敬ある風貌で人気者に。「松浦たけお」と名乗っていた時期もある。ギター演歌の節は一級品だったが、病魔に倒れ2005年頃、引退。
全盛期ふくめ、上記メンバーの期間が長く、事実上の正規メンバーである。
;他メンバー
*伊丹明(いたみ あきら):前三味線担当。曲師の第一人者として活躍中。日本浪曲協会所属。
*仲俊二(なか しゅんじ):ギター担当。1947年生まれ。北海道出身。前職は錦糸町ギター流しで、持ち歌『女泣かせの錦糸町』がある。松浦引退後入ったが、入って1年立たず脳溢血で倒れ引退。
*玉川平助(たまがわ へいすけ):2代目リーダー。1941年生まれ。愛知県出身。1971年、玉川カルテットに運転手兼マネージャーで採用される。曲師の吉野静の実弟。病気により引退。
*玉川平次(たまがわ へいじ):3代目リーダー。2010年加入。元マネージャー。
*玉川玉太郎(たまがわたまたろう):4代目リーダー。2011年加入。玉川カルテットのメンバーとして活動する場合の名義である。
*上原和(うえはら かず):ギター担当。2010年に仲俊二の後任として加入。
*玉川平太郎:5代目リーダー。玉川ゆたかの弟子。2013年に加入。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「玉川カルテット」の詳細全文を読む



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