|
近鉄玉手山遊園地(きんてつたまてやまゆうえんち)は大阪府柏原市玉手山町にあった遊園地。近畿日本鉄道の子会社である近鉄興業株式会社(解散)が運営していた。 ==概要== 1908年(明治41年)に河南鉄道(現在の近鉄南大阪線ほかを建設した)によって開園以来、西日本で最も古い遊園地として多くの市民に愛されたが、近年に入ると入場者の減少や交通の便の悪さもあり、1998年(平成10年)5月31日に閉園となった。 閉園間際の入園料は、おとな500円・こども300円・のりもの乗り放題(にこにこパス)700円(おとな・こども両方とも)・入園+のりもの乗り放題(にこにこパスセット)1000円(おとな・こども両方とも)であった。 昭和30年代の最盛期には、現在の玉手小学校から山頂の玉手町にかけての一帯に広がった広大な敷地を有し、年間数万人の来園者が訪れ、大阪府内でも有数の遊園地として賑わった。 春先には山全体が桜の花が満開となった。3カ所あったゲートのうち、玉手山公園として現在も使用されている山上の東ゲートと現在玉手小学校の取り付け道路となっている場所にあった西ゲートから山上に向かっては、玉手山斜面をぐるっと取り巻く形で桜並木があり、山上まで繋がっていた。中央ゲートに繋がるメイン広場には日本猿の檻や、イノシシなどの小動物の檻、管理棟のあった一段上の広場には中央に立派な野鳥舎と、それを囲むようにクジャクなどの鳥舎があり、メイン広場全体がミニ動物園になっていた。「SLのりば」には本格的なお猿の電車が走っており、その近くには飛行機塔もあった。通用口(現在の玉手山公園南口)脇の窪地にはイベント用の展示館があり、メイン広場にある「おたのしみ館」とともに時々に応じた特別展示を行っていた。また、現在の玉手山公園昆虫の森の辺りには、洋館造りの初代「昆虫館」があった。春の桜のシーズン、秋の菊人形展など、年間を通じて、多彩なイベントを行っていた。現在も残っている野外劇場では、日曜祝日には着ぐるみショーなどが行われていた。 1961年頃に行われた「自衛隊展」を最後に大きな催しが開催されなくなった。この時を境に、東ゲート付近が高級分譲住宅地に転用され、現在「いこいの森」と呼ばれているあたりに発生した地滑り災害の影響で西ゲートも閉鎖され、その後西ゲート付近も小学校に生まれ変わり、山上付近にあったユネスコ村も撤去されて規模が縮小していった。 それでも春先、秋口の行楽シーズンには、近隣の市町村の幼稚園児や、小学校低学年生の遠足の場として、手軽に行ける遊園地として利用されていた。またかつては来園者のために国分駅から無料のシャトルバスが運行されていた時期もあった。 しかし最新型ジェットコースター等を設備する大型遊戯施設が近隣に出現し、次第に客を奪われるようになると、入場者数が目立って減少し始めた。入園料も有料、無料、再び有料と変更を繰り返し、1998年(平成10年)5月31日、閉園し取り壊されることが決定していたが、敷地の大部分を所有する宗教法人の檀家からの要請で、柏原市が近鉄から遊戯具等の設備を含むほぼそのままの形で運営を引き継ぐこととなり、ほぼ一年間の準備期間を経て1999年3月柏原市立玉手山公園「ふれあいパーク」として再開された。 現在は敷地を近鉄が柏原市に提供し、柏原市立玉手山公園として、広く市民に無料開放している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近鉄玉手山遊園地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|