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玉木春政[たまき はるまさ] 玉木 春政(たまき はるまさ、天和元年(1681年) - 宝永2年1月17日(1705年2月10日))は、江戸時代中期の長府藩士、後に長州藩士。本姓は宇多源氏佐々木氏。幼名は久太郎。通称は金右衛門。諱は春政。父は江戸定府の長府藩士乃木傳庵、母は毛利綱広継室の昌寿院(梨木氏)とその娘で毛利匡広の正室である放光院(幸姫)に仕えた玉木。 == 生涯 == 元禄15年に母の勲功により分立し、母の年寄としての名である玉木を家名とし、玉木家の祖となる。同家は幕末の玉木文之進の養子先である。なお、乃木傳庵の跡は従兄弟の隋友が継ぐが、その長男の乃木希和もまた後に長州藩士となる。 毛利元重(監物)の小姓を勤めて、後に知行高50石の長州藩士となるが、行年25歳で江戸で病没。法号は薫光院良香日得居士。未婚で嗣子がなかったので、小川通政(助左衛門)の五男・久米之丞が玉木家の家督を継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉木春政」の詳細全文を読む
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