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玉野 宏昌(たまの ひろまさ、1978年6月1日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 == 来歴・人物 == 神戸市立星和台中学校を卒業。その後、神戸弘陵学園高等学校に進学も甲子園出場経験は無し。1996年のドラフト会議で西武ライオンズからドラフト1位指名を受けて入団した。また1996年限りで読売ジャイアンツへFA移籍した清原和博選手の背番号3番を背負ったが、期待に応えることができず、大物外国人トニー・フェルナンデスの加入もあって、わずか3年で背番号を剥奪された。 2000年は、開幕直後にセカンドとしてスタメン出場、4月6日に藪田安彦からプロ初本塁打、4月9日には4安打3打点の活躍を見せる。しかし、疲労と故障から長続きせず、それ以降も一軍に定着できなかった。守備もお粗末で、2002年にはマクレーンの故障で巡ってきたスタメンサードのチャンスも連続エラーで棒に振った。二軍で三塁を守って1試合4失策したこともある。現役生活の後半では外野手として出場することもあった。 2004年のオフ、正津英志、宮越徹両投手との交換トレードで大友進とともに中日ドラゴンズへ移籍。1軍の試合に出場することなく2005年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。 引退後は、佐川急便でトラックドライバーの仕事を務めた後、現在は紙関係を取り扱う「ニッセイロールペーパー」で営業を務めている〔nikkansports.com ニッカン今井でございます〕。 高校時代の同級生山井大介は中日でもチームメイトであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉野宏昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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