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孝端顕皇后[こうたんけんこうごう]
孝端顕皇后(こうたんけんこうごう、1564年 - 1620年)は、明の万暦帝の皇后である。姓諱は王 喜姐(おう きしゃ)〔餘姚雙雁万暦皇后王喜姐宗譜(原姓黄)〕。 浙江餘姚の出身。従九品文思院副使の王偉の長女として生まれた。万暦6年(1577年)、選抜されて皇后となった。父の王偉は伯爵(永年伯)に封じられた。 真赤の服を好み〔定陵考古報告〕、後宮の主として聡明かつ謹厳な性格で、極めて有能であった。万暦帝の文書の収集、整理、皇太后たちへの孝事をこなし、太子朱常洛(のちの泰昌帝、王皇貴妃の子)を支持し、皇帝の寵妃(鄭皇貴妃)には寬容で、自身に皇帝の寵愛はなくとも皇后の地位を盤石にした。一方で、宮女や太監(宦官)たちへの虐待を数多く行い、時には死に至らしめた。 万暦48年(1620年)、崩じた。孝端貞恪荘恵仁明媲天毓聖顕皇后の諡号を贈られた。 == 子女 ==
*朱軒媖(栄昌公主)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝端顕皇后」の詳細全文を読む
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