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王子区 : ウィキペディア日本語版
王子区[おうじく]

王子区(おうじく)とは、東京府東京市東京都にかつて存在した区である。現在の北区の北部に位置していた。
== 歴史 ==
伝承によれば、王子村は荒川の上流から見て氾濫原の右岸にある台地であったことから古くは岸村と呼ばれた。岸村の地名は王子村の台地東縁に岸という小字になって明治以降までも残り、現在は岸町1丁目、2丁目になっている。ここに王子稲荷神社がある。。『新編武蔵風土記稿』によれば、鎌倉時代後期の元亨2年(1322年)、この地に紀伊牟婁郡熊野若一王子を勧請したことから王子村と改称したといわれる。これが現在の王子神社であり、王子神社の田楽として著名な北区指定無形民俗文化財「王子田楽〔〕」は王子宮勧請の際に創生された魔除けの田楽芸能とされる。
義経記』によれば源頼朝隅田川を渡河して王子板橋に至ると書かれている〔『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年〕。平安時代後期から室町時代にかけては上中里に位置する平塚城(現・上中里駅から攻坂を登った本郷通り沿いの平塚神社)を本拠地とする豊島氏が支配する豊島庄の一部であった。
江戸時代になると王子村の中心には日光御成街道(岩槻街道)が通って江戸の市街と直結され、18世紀には八代将軍徳川吉宗によって飛鳥山に桜が植えられたことをきっかけに、江戸市民が頻繁に足を運ぶようになった。飛鳥山の花見人気とともに、王子村の北部にある王子稲荷神社がもともと東国33ケ国(東海道の15国、東山道の11国、北陸道の7国)の稲荷社の頭領を自認していたこともあってか参拝客が増え、村内には料理屋や茶屋が立ち並んで、江戸郊外の手軽な行楽地として人気を集めた。狐火の伝承をもとに毎年大晦日には狐の行列が催される。
明治時代に入ると王子村と周辺の村々が合併して王子村となり、旧王子村が大字王子として新設された村の中心となった。1875年になると、台地東の低地(現王子駅の東側)に日本で最初の洋紙工場(旧王子製紙王子ホールディングスおよび日本製紙の前身)が操業を開始した。翌年には印刷局がその隣接地に印刷所を設立し、石神井川・隅田川に沿った一帯の低地(現・北区王子、北区豊島)に工場が建設され始める。
1883年には、東北本線上野熊谷間が開通すると王子駅が設けられた。その後工場進出が進み、大正の頃までに薬品肥料の民間工場や火薬の工廠等が次々に生まれ、東京市北郊で屈指の工業地域に成長する。
1911年には王子電気軌道路面電車(現在の都電荒川線)が王子駅をターミナルとして営業を開始し、近隣の工場へ通勤する工員のため住宅の建設が進み始めた。1932年に王子町は東京市に合併され、北の旧岩淵町とともに王子区となった。東京都制により東京市王子区が東京都王子区になって後、1947年に南の滝野川区(旧滝野川町)と合併、新設して北区となった。この際王子区役所がそのまま北区役所となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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