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築地館 (映画館)[つきじかん]
築地館(つきじかん)は、かつて存在した日本の映画館である〔年鑑, p.464.〕〔総覧, p.650.〕〔総覧, p.247-248.〕〔総覧, p.555-556.〕〔昭和7年の映画館 東京府下 146館 、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2014年4月23日閲覧。〕〔年鑑, p.10/32-33.〕〔年鑑, p.453.〕。正確な時期は不明であるが1920年(大正9年)代にはすでに東京府北多摩郡王子町大字豊島(現在の東京都北区豊島)に開館しており、帝国キネマ演芸や松竹キネマの上映館であった〔。河合徳三郎に経営が移って以降は、河合築地館(かわいつきじかん)とも呼ばれた〔。1940年(昭和15年)前後には王子新興映画劇場(おうじしんこうえいがげきじょう)と改称している〔〔。第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)2月19日の空襲によって豊島地区は壊滅、閉館を余儀なくされた〔語り継ぐまちづくり 東十条三・四丁目 、北区まちづくり公社、2010年10月、2014年4月23日閲覧。〕。戦前に一時、映画監督の渡辺護の実家が経営にかかわっていたことでも知られる〔watanabemamoru.com , 渡辺護公式ウェブサイト、2014年4月23日閲覧。〕〔渡辺護さんの話に出てくる王子の映画館は , (昭和)14年か15年からだと思いますけどね 、井川耕一郎、2014年4月22日付、2014年4月23日閲覧。〕。 == 沿革 ==
* 1920年代 - 開館〔 * 1940年前後 - 王子新興映画劇場と改称〔〔 * 1945年2月19日 - 空襲によって豊島地区壊滅・閉館〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「築地館 (映画館)」の詳細全文を読む
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