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王憲ゲン[おう けんげん]
王憲嫄(おう けんげん、428年 - 464年)は、南朝宋の孝武帝劉駿の皇后。本貫は琅邪郡臨沂県。 == 経歴 == 王偃の娘として生まれた。443年(元嘉20年)、武陵王妃に封じられた。劉駿の寵愛を受け、前廃帝劉子業・豫章王劉子尚・山陰公主劉楚玉・臨淮康哀公主劉楚佩・皇女劉楚琇・康楽公主劉修明を産んだ。453年(元嘉30年)2月、劉駿が劉劭を討つと、憲嫄は路恵男とともに尋陽に留まった。5月、反乱が平定されると、憲嫄は建康に入って、皇后に立てられた。 460年(大明4年)3月、憲嫄は六宮を率いて西郊で躬桑の儀式をおこない、皇太后の路恵男がその儀礼を観覧した。464年(大明8年)閏5月に劉子業が即位すると、7月に憲嫄は皇太后となり、永訓宮と称された。8月23日、含章殿で死去した。享年は38。9月、景寧陵に陪葬された。諡は文穆皇后といった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王憲ゲン」の詳細全文を読む
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