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王昭君 : ウィキペディア日本語版
王昭君[おう しょうくん]

王 昭君(おう しょうくん、紀元前1世紀ごろ)は、匈奴呼韓邪単于復株累若鞮単于の時代の閼氏(単于の妻)。を王、は牆(『漢書』匈奴伝下)または嬙(『西京雑記』)。字を昭君。晋・司馬昭の避諱により王明君・明妃ともいう。日本では通常、王昭君と呼ばれるが、地元(フフホトの方)では単に昭君と呼ばれている。荊州南郡(現在の湖北省沙市)出身で、楊貴妃西施貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。
== 生涯 ==
前漢元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于が、漢の女性を閼氏(匈奴の言葉で君主の妻)にしたいと、元帝に依頼したところ(逆に漢王朝が持ちかけたという説もある)王昭君が選ばれた。以後、王昭君は呼韓邪単于の閼氏として一男を儲けた。

その後、呼韓邪単于が死亡したため、当時の匈奴の習慣に倣い、義理の息子に当たる復株累若鞮単于の妻になって二女を儲けた。漢族は父の妻妾を息子が娶ることを実母との近親相姦に匹敵する不道徳と見なす道徳文化を持つため、このことが王昭君の悲劇とされた。『後漢書』によると、呼韓邪単于が亡くなり、匈奴の習慣に習い息子の復株累若鞮単于の妻になった。そのとき、王昭君は、反発したが漢王朝から命令されしぶしぶ妻になったとの記述がある。
こうした悲劇は『西京雑記』などで書き加えられ、民間にその伝承が広まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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