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王カン (梁)[おう かん]
王 暕(おう かん、477年 - 523年)は、南朝斉から梁にかけての政治家。字は思晦。本貫は琅邪郡臨沂県。 == 経歴 == 王倹の子として生まれた。弱冠にして淮南長公主を妻に迎え、駙馬都尉となった。員外散騎侍郎に任じられたが受けず、晋安王文学となった。廬陵王友・秘書丞をつとめた。497年(建武4年)、始安王蕭遙光の推薦を受けて、驃騎従事中郎となった。 蕭衍が政権を握ると、王暕は戸曹属として召され、司徒左長史に転じた。502年(天監元年)、太子中庶子に任じられ、驍騎将軍を兼ね、侍中となった。寧朔将軍・中軍長史として出された。再び侍中となり、射声校尉を兼ね、五兵尚書に転じ、給事中を加えられた。晋陵郡太守として出向した。511年(天監10年)、召還されて吏部尚書となり、まもなく国子祭酒を兼ねた。516年(天監15年)、尚書右僕射に転じ、侍中を加えられた。519年(天監18年)、尚書左僕射となった。520年(普通元年)、母が死去したために辞職して喪に服した。雲麾将軍・呉郡太守として再起した。522年(普通3年)召還されて侍中・尚書左僕射となり、国子祭酒を兼ねた。523年(普通4年)11月、突然の病のために死去した。享年は47。侍中・中書令・中軍将軍の位を追贈された。諡は靖といった。
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