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王沖 : ウィキペディア日本語版
王沖[おう ちゅう]
王沖(おう ちゅう、492年 - 567年)は、南朝梁からにかけての人物。は長深。本貫琅邪郡臨沂県
== 経歴 ==
梁の給事黄門侍郎の王茂璋と新安穆公主(梁の武帝蕭衍の妹)のあいだの子として生まれた。18歳のとき、梁の秘書郎を初任とした。まもなく永嘉郡太守となった。入朝して太子舎人となったが、父が死去すると辞職して喪に服した。喪が明けると、太尉臨川王府外兵参軍・東宮領直に任じられ、太子洗馬と太子中舎人を歴任した。招遠将軍・衡陽郡内史として出向し、武威将軍・安成嗣王長史・長沙郡内史に転じた。528年大通2年)、安成嗣王蕭機が湘州で死去すると、王沖は監湘州事をつとめた。入朝して太子庶子となった。給事黄門侍郎に転じた。537年大同3年)、武帝の外甥として安東亭侯の爵位を受けた。明威将軍・南郡太守を経て、太子中庶子・侍中となった。監呉郡として出向し、正式に呉郡太守となった。召還されて通直散騎常侍となり、左民尚書を兼ねた。明威将軍・軽車当陽公府長史・江夏郡太守として出向し、行郢州事をつとめた。平西邵陵王長史となり、驃騎廬陵王長史・南郡太守に転じた。547年太清元年)、廬陵王蕭続が死去すると、王沖は州府の事務を代行した。湘東王蕭繹荊州に駐屯すると、王沖はその下で鎮西長史となった。
侯景の乱が起こり、蕭繹が荊州で承制すると、王沖は持節・督衡桂成合四州諸軍事・雲麾将軍・衡州刺史に任じられた。蕭繹の四男の蕭元良が湘州刺史となると、王沖は行湘州事をつとめ、長沙郡内史を兼ねた。侯景の乱が平定されると、翊左将軍・丹陽尹に任じられた。
552年大宝3年)、武陵王蕭紀が挙兵して峡口まで東下すると、王琳の部将の陸納らが湘州に拠って蕭紀に呼応し、王沖は陸納に捕らえられた。陸納が元帝に降ると、王沖は解放されて侍中・中権将軍の位を受けた。
554年承聖3年)、江陵西魏の侵攻により陥落し、蕭方智が太宰となると、王沖はその下で左長史となった。紹泰年間、左光禄大夫・尚書右僕射を経て、尚書左僕射に上った。556年太平元年)、開府儀同三司の位を受けた。まもなく再び丹陽尹となり、南徐州大中正をつとめた。
557年永定元年)、陳が建国されると、左光禄大夫となった。558年(永定2年)、太子少傅に任じられた。559年(永定3年)、文帝が即位すると、特進・左光禄大夫の位を受けた。561年天嘉2年)、また丹陽尹となった。567年光大元年)11月、死去した。享年は76。侍中・司空の位を追贈された。は元簡といった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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