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王 甫(おう ほ、? - 222年)は、中国後漢時代末期から三国時代にかけての政治家。字は国山。益州広漢郡郪県の人。子は王祐。従兄は王士。 == 生涯 == 陳寿が記した三国志では、楊戯伝の「季漢輔臣賛」に記載されている。 風貌が凛々しく、人物評価や政治手腕に優れていた。はじめは劉璋に益州の書佐(書記の事務を担当する者)として仕えた。後に劉備が益州を奪うと、綿竹県令となり、次いで荊州議曹従事に異動となった。章武2年(222年)、劉備の呉討伐に従ったが、軍が秭帰(南郡)で敗北した際に戦死した(夷陵の戦い)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王甫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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