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王毓芝[おう いくし]
王 毓芝(おう いくし、)は、中華民国の政治家。直隷派指導者曹錕の腹心と目される文官である。字は蘭亭。 == 事績 == 清末に曹錕の下で王毓芝は文牘(公文書)を処理する任に就き、その能力を曹に評価されて機要秘書に抜擢される。1912年(民国元年)以降、東三省陸軍測絵学堂で書記官、文案、提調を歴任した。1914年(民国3年)4月、長江上遊警備総司令部秘書官を務めている。〔山東省地方志弁公室ホームページ。〕〔徐主編(2007)、165頁。〕 1916年9月、直隷督軍に任ぜられた曹錕の下で、王毓芝は直隷督軍署秘書、直隷省長公署秘書長を歴任した。1918年(民国7年)、北京政府が両湖宣撫使を設置、曹がこれに就任すると、王も第1路総司令部秘書官に任ぜられた。翌年、曹が川粤湘贛四省経略使に転じると、王もこれに従い秘書長となる。〔〔 1920年(民国9年)8月、王毓芝は北京政府中央で幣制局副総裁に任ぜられ、1922年(民国11年)8月には全国煙酒事務署督弁となった。翌1923年(民国11年)6月から、曹が国会議員買収による大総統選出を狙うと(「賄選」)、王は実際にそのための事務に従事した。同年10月、曹錕は大総統に就任し、王は総統府秘書長に起用されている。1924年(民国13年)10月、北京政変(首都革命)により曹が失脚すると、王も秘書長から罷免されてしまい、以後政界から引退した。〔〔1933年(民国22年)、天津市で病没。享年56。〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王毓芝」の詳細全文を読む
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