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王衍(おう えん)は、十国前蜀の第2代(最後)の皇帝。一般には後主と称されている。 == 生涯 == 高祖王建の十一男として成都で生まれ、鄭王に封じられた。当初は次兄の王宗懿が立太子されていたが、母の徐氏が高祖の寵愛を受けるに従い太子に立てられた。 高祖の崩御により帝位に即位するが、国政を宦官の宋光嗣らに任せ、自らは奢侈荒淫にふけり民心を失った。 咸康元年(925年)に後唐の荘宗李存勗によって攻撃を受け、成都は陥落、後主は後唐軍に降り、前蜀は滅亡した。 滅亡後、王衍は通正公に封じられた。しかし長安に送られる途中、後に禍根となることを恐れた明宗により秦川駅で一族もろとも殺害された。死後順正公に追封された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王衍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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