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吾輩は猫である[わがはいはねこである]
『吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。1905年1月、『ホトトギス』に発表され、好評を博したため、翌1906年8月まで継続した。 == 概要 == 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まる。 中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様を風刺的・戯作的に描く。 着想は、E.T.A.ホフマンの長編小説牡猫ムルの人生観と考えられる〔http://nekotetu.com/cgi-bin/nekotetu.cgi?cont=1&cono=52〕〔『吾輩は猫である』の内容が『牡猫ルムの人生観』に影響を受けているかについては、影響を受けているとする藤代素人、秋山六郎兵衛、板垣直子らの論と、着想を得たのみで内容にまでは影響を受けていないとする吉田六郎、石丸静雄らの論とが混在する。漱石自身は影響を受けていないと述べている。〕〔丸谷才一が仙台文学館の初代館長になった井上ひさしに電話をかけ、19世紀初頭によく読まれた俗小説『ポピー・ザ・リトル』という、子犬が上流から下流階級まですべて見て回り、その見聞を猛烈な社会批判にしていて漱石がこれを知って『吾輩』を書いたと考えられるという。東北大学の漱石文庫にはないが、これを評価したTHE ENGLISH NOVEL(Walter Raleigh)があるので、何らかの印がないか学芸員に見てきてもらえないかと依頼した。翌日、学芸員が確認すると、『ポピー・ザ・リトル』の項に、はっきりと線が引かれていた(笹沢信『ひさし伝』新潮社 2012年pp.390f)。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吾輩は猫である」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 I Am a Cat 」があります。
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