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珠光流(じゅこうりゅう)は茶道流派の一つ。侘び茶の創始者とされる村田珠光を祖と仰ぎ古式を伝えるが、日本統治時代ソウルの妙心寺京城別院にて行われるという独特の来歴を持つ。家元は鈴鹿市の天沢山龍光寺にあり、庵号は摩尼庵。 ==歴史== 中興と称せられる7代備長庵道義は元禄期の人で、伝書などを多く残しているが、大火により京都を離れ尾張に移っている。9代珠翫宗光は座禅への造詣が深く、見性宗般より庵号「摩尼庵」を受ける。珠翫宗光の没後まもなく、珠光流は師範代の梅笑庵宗雹に預けられ、京城(ソウル)に移る。宗匠位は妙心寺管長代理の真浄宗詮、のちに仁峰令譲へと引き継がれて伊勢へ移るが、引き続き京城にて盛んに行われ終戦により引き揚げとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「珠光流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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