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武道(ぶどう)は、広義には古武道を含むが、狭義には明治維新以降に古武道から発展したもので〔「武道は、日本古来の尚武の精神に由来し、長い歴史と社会の変遷を経て、術から道に発展した伝統文化である。」(日本武道協議会 武道憲章)〕、人を殺傷・制圧する技術に、その技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす〔「武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、有為の人物を育成することを目的とする。」(日本武道協議会 武道憲章 第1条) 〕、といった道の理念が加わったもの。古武道と明確に区別する場合、現代武道と呼ぶ。道の追求という点については、残心(残身、残芯)などの共通する心構え所作などから茶道や日本舞踊、芸道ともかかわりを持つ。また、乱取りや自由組手などを行うことからスポーツ、体育との共通点も多い。 武道の理念は時代あるいは組織や個人により様々であり、正反対の考え方さえ存在しているが、主要武道9連盟が加盟する日本武道協議会は「武道は、武士道の伝統に由来する我が国で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道を修錬して心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道である。」と制定している〔 武道の理念 (平成20年10月10日 日本武道協議会制定)〕。 == 歴史 == 「武道」という言葉は武士道のことを指したが、江戸時代後期頃から古武道のことも指すようになった。現代の武道はこの古武道から発展したものである。古武道の盛衰に関しては古武道#歴史 を参照されたい。 明治維新によって古いものとして古武術は廃れ、武術興行などを行いなんとか命脈を保つ状態となった。このような中、嘉納治五郎は柔術を独自に理論化・合理化した講道館柔道を開き栄えた。教育者であった嘉納の思想は後の武道家に強い影響を与えた。 明治末から大正にかけて、武術はそれまでの戦闘技術が主となる内容ではなく、心身鍛錬や教育的効用を重んじる風潮となった。武術から武道への名称変更の主唱者となったのが西久保弘道である〔西久保氏武道訓 〕。西久保は大正時代に大日本武徳会の副会長に就任すると、武術専門学校を武道専門学校へ名称変更した。 その背景について、福島大学教授の中村民雄や筑波大学名誉教授の渡辺一郎らの研究によると、武術興行などを行い堕落した(とみなされた)武術と区別するために、教育的に有用である真剣な修行という意味で「武道」という名称を用いたのであるという。当時は古武道、現代武道の違いはあまり意識されていなかったが、現在では区別されることが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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