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球宴 : ウィキペディア日本語版
オールスターゲーム (日本プロ野球)

日本プロ野球オールスターゲームは、日本野球機構が主催する、セントラル・リーグパシフィック・リーグの各選抜チームによる対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。現在正式な大会名はマツダオールスターゲームとなっており、通称はオールスターまたは球宴(きゅうえん)である。
== 概要・歴史 ==
1リーグ時代の1937年から、アメリカメジャーリーグベースボールを手本に「職業野球東西対抗戦」という大会名で、本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。
2リーグ制になった1950年は実施されず、1951年からセントラル・リーグパシフィック・リーグの対抗方式で実施されている。シーズン終了後は日本シリーズが行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。
スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、MLBオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという日本プロ野球選手会側からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。但し基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持した上で、第3戦を地方で開催することとなり、1992年宮城球場を皮切りに地方開催が実施されるようになった。2001年を最後に3試合制は原則として一旦消滅し、2002年2010年は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催することとなった。しかし、2011年には選手年金の財源確保などNPBの収益強化を目的として10年ぶりに3試合制が復活し、2012年2013年も3試合制で行われた。なお、2011年からの3年間については東日本大震災の復興支援の意味合いもあり、3試合目は被災地である宮城・岩手・福島の各県の球場で実施された。2014年からは再び2試合制となる。
また試合開催日も初期の1951年 - 1957年は7月初旬か中旬の開催だったが、梅雨の時期と重なり雨天中止・延期が長引いたケース(1953年など)もあったため、1958年以後は2001年まで梅雨明け後・夏休み初めの週末となる7月下旬に行われた。第1戦は土曜日、第2戦は日曜日、移動日を挟んで第3戦は火曜日に開催された。1990年代の2試合制は平日開催(第1戦火曜日、第2戦は水曜日)だった。その後夏休みの公式戦開催を強化したいという意向で2002年 - 2004年は7月中旬に一旦繰り上げられるも、セ・パ交流戦開始による同一リーグ所属チーム間との対戦、あるいは交流戦の雨天中止・延期分の予備日日程確保の観点から、2005年以後は7月下旬に戻され、今日に至る。近年は第1戦が木曜日や金曜日に始まる年や2011年には3試合連続で開催された事もある。
開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団の本拠地(専用球場)で開催となるが、地方開催の場合は日本野球機構(NPB)が直接開催権を持ち、セ・パのどちらをホームとし、どの球団が運営要員を派遣するかはそれまでの開催実績を元に決定される。また、かつてはナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられていたため、以前近鉄バファローズ藤井寺球場日本生命球場を本拠にしていた頃、藤井寺は当時照明設備がなく、日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄主管では開催されず、本来近鉄主管となる順番の1959年1967年1973年1979年は南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の本拠地・大阪球場で振り替えた上、南海に開催権を譲渡して開催した。また東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が1953年から1961年の間、駒澤野球場をフランチャイズとしていた9年間の東映の主管試合とロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が1973年から1977年の間、宮城球場をフランチャイズとしていた5年間のロッテの主管試合は開催されなかった。理由は駒澤野球場と宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや、周辺施設の問題による。なお、2002年の第2戦は広島東洋カープが開催権を持つ順番だったが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)であり、地方開催のため広島球団ではなくNPBが主催の上、運営要員は広島を中心にセ各球団から派遣された。また2008年より試合前の公式練習では、出場選手・コーチ陣はミズノ提供によるプラクティスユニフォームを着用している。
オールスターゲームにおいては一時期、真剣勝負を「直球勝負」と曲解する風潮があった。そのため投手が直球を多投する光景が多く見られ「オールスターでは変化球を投げづらい」「真の真剣勝負が見られない」などといった意見もあった。
2009年には、プロ野球実行委員会において「交流戦があって、価値が薄れている」と、オールスターゲームそのものの見直しが検討された。オールスターゲームはNPBの基幹収益事業の一つで、毎年多くの観客を集め多額の収益をもたらしているが、その一方で、かつては推定2億円近くに及んだ地上波テレビ中継の放映権料が、近年は下落の一途をたどっている。また、冠スポンサーも三洋電機の撤退以来、長期契約を希望する企業が未だ現れず、こうした要因から既に収益が頭打ちとなっている側面がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nippon Professional Baseball All-Star Series 」があります。



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