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琉球国由来記 : ウィキペディア日本語版
琉球国由来記[りゅうきゅうこくゆらいき]
琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)は琉球王国の王府が編纂させた地誌である。王府が編纂した体系的な最初の地誌で、康熙52年(1713年)に国王へ上覧された。沖縄を研究する上で欠くことのできない資料と言われている。
== 概要 ==
本書の序文である「諸事由来記序」には、康熙52年(1713年、和暦では正徳3年)11月に国王へ上覧したことが記載されており、その成立年代は明確である。
さらに、「諸事由来記序」には本書を編纂する目的が記されている。それによれば、王府に典記が備わっていないため禁城の諸公事および毎年毎月の儀式について由来が明確でなくなった、こうした国事は徳政日治にとって軽んじることができないものなので我が王は臣下に調査させた、と記している。伊波普猷の著した「『琉球国由来記』 解説」によれば、「諸事由来記序」に記された「我が王」とは第13代琉球国王の尚敬王である。また同解説では、本書を「琉球の『延喜式』とも云ふべきものである。」と評している。
「諸事由来記序」の最後には、本書編纂に係わった人物として以下の名前が記載されている。
『古代文学講座11 霊異記・氏文・縁起』では、摂政三司官は王府行政の責任者であるため上覧の関係上載せていると考えられるので、実質の作業は旧規由来寄奉行が行ったものと考察している。また、同書では旧規由来寄奉行の設置時期について、三司官の田嶋朝由の家譜に康熙42年(1703年、和暦では元禄16年)3月2日に旧記座を設立したとあって設立時期が明白であると述べ、さらに旧規由来寄奉行の設置時期が明白なことから、本書の本格的な編纂は康熙42年(1703年)3月2日に始まり康熙52年(1713年)11月の国王上覧をもって完了したのだとしている。
「『琉球国由来記』 解説」〔では、旧記座は臨時に設けられた部署で、本書巻2「官職列品」にその職の記載が無いことから、本書完成と共に自然廃止されたのではないかと推測している。また同書では、旧記座は康熙28年(1689年、和暦では元禄2年)に設置された系図座から『中山世譜』の完成後、間も無く独立し、本書完成と共に廃止され、その事務は再び系図座に引き継がれたのではないかと推測している。
同書では、本書の各處祭祀は旧記座から間切の各番所〔「間切役場」のこと。属島では「蔵元」と言った。〕に命じて、管内の旧事や由来を調査・報告させ、その報告書の中から取捨按排して編纂したことが分かると述べている。提出された報告書は編集完了の後、漸次破棄したので、現在残っているものはわずかになったが〔「『琉球国由来記』 解説」では、『久米中里間切旧記』、『久米具志川間切旧記』、『久米之君南風由来並規式位階〔位階且公事〕』、『慶良間島渡嘉敷間切由来記』、『宮古島旧記』、『八重山島旧記』、『那覇由来記』を紹介している。このうち『久米中里間切旧記』は昭和初期に久米島の旧家で発見されたものなので、各地の旧家を隈なく探したら、今後も発見があるのではないかと同書では考察している。〕、これらの報告書と本書を比較すると本書編纂の方針が大方は窺うことが出来るとしている。
また、『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』〔に所収。 〕の「天久山大権現縁起」や「普天満山三所大権現縁起」に「見神道記」の記述があるなど、同巻の数箇所で『琉球神道記』を参照したことが示唆されており、密門諸寺縁起の編纂にあたっては『琉球神道記』が参考文献とされていたことがわかる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「琉球国由来記」の詳細全文を読む



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