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琥珀の間(こはくのま、 ヤンタールナヤ・コームナタ)とは、ロシア連邦のサンクトペテルブルクにあるエカテリーナ宮殿内の一室である。その名の通り、部屋全体の装飾が琥珀で出来ており、これは世界で唯一のものである。 琥珀が第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたため、琥珀の間は失われていたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に琥珀の間は完全に復元された。 ==琥珀の間の成立== 琥珀の間に使用された装飾は、ロシア西欧化の基礎を築いたピョートル大帝がプロイセン王、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世から譲り受けた装飾が元になっている。 琥珀の間の原型とも言える「琥珀の部屋」はプロイセンで構想され、制作が開始された。当時のプロイセン王フリードリヒ1世は、琥珀の部屋の装飾、独創性を好んだという。しかし、フリードリヒ1世は琥珀の部屋の完成を見ることなく、この世を去っている。 その後、琥珀の部屋の装飾はフリードリヒ1世の子、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の時代に、ピョートル大帝が所望し、贈られることとなる。しかし、装飾はすぐに組み立てられることはなく放置された。 ピョートル大帝の死後、即位したエリザヴェータは自国文化の更なる西欧化を図ったが、冬宮(現在のエルミタージュ美術館)の改築の際に、放置されていた装飾は宮殿の謁見の間の装飾として、ロシアで作られた装飾と共に利用された。こうして、当初のプロイセンで構想された琥珀の部屋より大きく広い空間となった。この時点で琥珀の間としては完成していたと考えられる。 その後、琥珀の間は夏宮に移された。完成は1770年、エカチェリーナ2世の時代であった。エカチェリーナ2世は琥珀の間をことのほか愛し、部外者の立ち入りを禁止していたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「琥珀の間」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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