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琴別府 : ウィキペディア日本語版
琴別府要平[ことべっぷ ようへい]

琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 - )は大分県別府市出身で佐渡ケ嶽部屋に所属していた元大相撲力士。最高位は東前頭筆頭(1995年3月場所)。得意手は突き、押し、もろ差し、寄り。現役時代の体格は178cm、193kg。本名は三浦 要平(みうら ようへい)。通称は要平さんなど。血液型はB型。
== 人物 ==
別府市長から佐渡ヶ嶽部屋を紹介された際に母から「辛くなったらいつでも豆腐屋の跡取りとして帰っておいでね。」と温かく送り出され、1981年3月場所初土俵。以降順調に番付を上げ1989年7月場所に十両に昇進した。しかしその場所中に風邪をこじらせ急性腎炎に罹り、途中休場を余儀なくされた。尿毒症も併発し一時は生命すら危ぶまれ、人工透析が必要となる寸前であったが、奇跡的に後遺症も残らず回復。その間休場が続き、土俵に帰って来た時期は、1990年9月場所と1年以上掛かってしまった。番付は西序ノ口39枚目まで下げていた。しかしそこから番付を戻すまでが非常に早く、1992年5月場所に十両に復帰し、同年11月場所には新入幕とこちらも奇跡的な再起を果たした。
こうした経緯があったため入幕前後までは「無理するな」と微笑ましく見守られていたが、その後は部屋のホープの一人として、厳しく指導されるようになったという。本人も引退後に「失敗しても家業を継げばいいなどとしつこく言われてきたので、だからこそボロボロになるまで戦い抜いてやろうと思った。」と当時の稽古振りの背景にあった事情を語っていた。
一度新十両を経験しながら、序ノ口に降下した力士が入幕を果たした例は琴別府が初めてであった。同部屋の先輩、大関琴風が膝の負傷で関脇から幕下まで陥落後再起を果たし「地獄を見た男」と呼ばれたことになぞらえて、「新・地獄を見た男」と呼ばれた。その新入幕の場所、巨体を利して前に出る徹底した押し相撲で10勝5敗と二桁勝利を挙げ敢闘賞を受賞、注目を集めた。翌1993年1月場所10日目、この場所に大関昇進を賭ける関脇・貴花田を一気に押し倒した相撲でますます評価を高くした〔この一番で1993年1月場所の勝ち越しを決めたこともあり、これを報じる新聞に、「『地獄を見た男』の天国」という見出しが多かった。琴別府本人もこの相撲を思い出の一番としている。〕が、13日目に旭道山の蹴手繰りに敗れた際左太腿を痛め休場に追い込まれ〔「とても相撲が取れる状態ではない」と言われたほどの重傷であった。前回は、再十両直前の場所の栃天晃との相撲で負傷。この休場により連続三賞受賞も逸す。これをきっかけに三賞受賞は原則として関脇以下での勝ち越しの他、場所皆勤が条件となるのだった。〕、この場所は勝ち越していたため番付は上がったものの、その後は体重の急増によって動きが悪くなり、伸び悩んだ。この蹴手繰りでの負傷・休場というパターンは復活後二回にわたって発生しており、地獄を見た男のはまったさらなる地獄として印象に残り、相撲雑誌にもやくみつるによって『けたぐり地獄』なる地獄にはまりこみ鬼に「オニでも泣けてくるじゃねえか」と泣かれるという一コマ漫画が描かれたほどである。1997年1月場所を最後に幕内から陥落。十両でも思うような結果が結果が残せなくなり、11月場所には幕下に陥落し、12日目の相撲を最後に現役を引退した。
引退後は協会に残らず、料理店で修行し、千葉県鎌ケ谷市で「黒門ラーメン 千葉本店」を経営していたが、2007年、実家の豆腐屋を継ぐため、店をたたんで帰郷した。その後大分県別府市亀川にある「らーめんいっちゃん 琴別府店」にて調理を担当している、店名に琴別府の名はあるが店主やオーナーかどうかかは不明。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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