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瑞穂 春海(みずほ しゅんかい、1911年3月22日 - 1995年6月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。 == 人物・来歴 == 1911年(明治44年)3月22日、長野県長野市に善光寺塔頭蓮華院の長男として生まれる〔瑞穂春海 、raizofan.net, 2009年10月14日閲覧。〕。 旧制・長野県長野中学校(現在の長野県長野高等学校)、旧制・姫路高等学校(現在の神戸大学)をそれぞれ卒業後〔、東京帝国大学に入学、同文学部で美術史学を専攻し、同学を1934年(昭和9年)に卒業した〔。卒業後、同郷の映画監督・池田義信の在籍する松竹キネマの松竹蒲田撮影所に入社した〔。池田のほか、深田修三、渋谷実に師事した〔。 1940年(昭和15年)、三浦光子主演の映画『女の気持』で監督に昇進した〔〔#外部リンク欄、「瑞穂春海」の項リンク先、日本映画データベース、2009年10月14日閲覧。二重リンクを省く。〕。第二次世界大戦開戦後の1943年(昭和18年)、河村黎吉・吉川満子主演の『家に三男二女あり』を監督した〔。 終戦後第1作は、1947年(昭和22年)の上原謙・木暮実千代主演の『消えた死体』である〔。1950年(昭和25年)、横山隆一の漫画を原作に笠置シヅ子・堺駿二主演の映画『ペ子ちゃんとデン助』を監督したが、同作の取材で脚本家の中川隆三と競輪場に通いつめた〔。このころ美空ひばり主演作品を手がけている〔。1954年(昭和29年)、ラジオ東京(現在のTBSラジオ)の人気放送劇『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』を原作に、淡島千景演じる「チャッカリ夫人」だけをクローズアップした映画『お景ちゃんのチャッカリ夫人』を最後に、同年、松竹を退社した〔。 1955年(昭和30年)からは、『お景ちゃんのチャッカリ夫人』等で組んだ脚本家・長瀬喜伴に誘われ東京映画と本数契約した〔。移籍第1作は長瀬の脚本、上原謙主演の『明日の幸福』で、同年2月12日に東宝が配給して公開された〔。同年はさらに新東宝で、長瀬の脚本、大木実・藤田進の主演でブラジルでのロケーション撮影を敢行した『リオの情熱』を監督した〔〔。 1960年(昭和35年)からは大映に移籍し、その第1作は長瀬の脚本、川口浩・弓恵子主演の映画『すれすれ』を大映東京撮影所(現在の角川大映撮影所)で監督した〔。1964年(昭和39年)には、謝国権の原作を映画化した『これからのセックス 三つの性』を監督〔、1966年(昭和41年)、田宮二郎主演の映画『復讐の切り札』を最後に引退した〔。 引退後は、長野に帰り、実家の寺の住職を勤めた〔。1995年(平成7年)6月19日、死去した〔。満84歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瑞穂春海」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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