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瑠璃明王[るりめいおう]
瑠璃明王(るりめいおう、紀元前38年 - 後18年))は、高句麗の第2代王(在位:前19年 - 後18年)であり、姓は高、諱は類利、または孺留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟に沸流と百済の始祖となる温祚とがいる。『三国史記』高句麗本紀では琉璃王・琉璃明王、『三国遺事』王暦では瑠璃王、広開土王碑文では儒留王と表記される。また、『魏書』に「朱蒙の死後、子の閭達(ろたつ)が王位を継ぎ、閭達の死後その子の如栗(じょりつ、るり)が王位を継ぐ」とあり、この如栗が瑠璃明王に相当するとも考えられる。 == 即位まで == 父・朱蒙がまだ扶余にいるころに礼氏の娘との間にできた子である。朱蒙が扶余から卒本へ亡命していたので、扶余にいる類利は自分の父を知らなかった。幼少の頃、路上で雀を撃って遊んでいるときに、誤って水汲みにきた婦人の水甕を割ってしまった。婦人が罵って「この子は父がいないので、こんなにも頑ななのだろう」といったため、類利は恥じ入って家に帰り、母に「私の父は誰で、今どこにいるのですか」と尋ねた。母は「お前の父は普通の人ではありません。この国に容れられず、南に逃れて国を開き、王となりました。逃れる際に私に、『お前がもしも男の子を生んだら、私(朱蒙)があるものを七角形の石の上の松の下にしまってあるので、それを見つけ出せればその子こそがわが子である、と言いなさい』と言われました」と答えた。そこで類利はあちこちを探したが、ある朝家にいると柱の礎石の間に音のするのを聞き、それを頼りに見てみると礎石が七角形であったので、柱の下を探したところ、剣のかけらを得た。そこでその剣のかけらをもって屋智・句鄒・都祖ら3人とともに卒本へ行き、父である東明聖王に差し出した。王の持っている剣の一部と合わせたところ、繋がって一剣になったので、王はこれに満足して類利を太子とした。このときになって、類利は王位を継いだ。ちなみに、この話の「瑠璃王の剣」は、東明王(朱蒙)の「ラッパと太鼓」、大武神王(無恤)の「鼎」と共に朝鮮神話の三種の神器になっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瑠璃明王」の詳細全文を読む
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