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東甌[とうおう] 東甌(とうおう、前472年 - 前138年)とは、越王勾践の後裔東甌王が封じられた国であり、現在の浙江省温州市付近に存在した。「甌越」とも表記される。 ==歴史== 周元王4年(前472年)、越王勾践が呉を滅ぼした後にその子弟を分封し、東甌公が東甌の地に封じられたのが初見である。 顕王35年(前334年)、勾践の7世の孫が楚により殺害され翌年に越は瓦解した。そして江南沿岸地域の温州一帯に逃れた越国王族と現地の甌人(百越諸部族の支族)が次第に融合し、甌越族が形成され、その首領に東甌王が当たった。このほか越王族の一部は福建省へと逃れ、現地の閩人(百越諸部族支族)が融合し閩越族を形成している。閩越王と東甌王は共に勾践の後裔であるが、族長と正統の地位を巡りしばしば衝突していた。 前221年、始皇帝が中国を統一すると、翌年第六代東甌王安朱(の父王)及び閩越王の王号を除き君長と改め、その地域には閩中郡を設置した。東甌は建国より252年で名目上滅亡するが、その実態は郡を設置したものの、統治方法は従前のままであったと史書は伝えている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東甌」の詳細全文を読む
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