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甘露寺 国長(かんろじ くになが)は、江戸時代後期の公卿。父は甘露寺篤長、祖父は甘露寺規長、正室は関長誠の娘、継室は冷泉為章の娘。子に甘露寺治長、甘露寺愛長、竹内惟和室、小倉輔季、養女(二条治孝の娘、鍋島直正養女、鍋島直與室)、甘露寺妍子(仁孝天皇典侍)がいた。 == 経歴 == 文化10年(1813年)加茂下上社伝奏、文化11年(1814年)正二位権大納言、文政2年(1819年)これを辞する。文政5年(1822年)武家伝奏、文政7年(1824年)従一位、天保7年(1836年)武家伝奏を辞任する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甘露寺国長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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