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甘露寺 経元(かんろじ つねもと)は、室町時代から安土桃山時代にかけての公家(公卿)。 堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流勧修寺嫡流)である甘露寺家の27代当主。 == 経歴 == 非参議下冷泉為豊の次男。権大納言甘露寺伊長の養子。実子に祭主藤波慶忠の室。養子に蔵人頭・右中弁甘露寺経遠(准大臣勧修寺晴豊の次男)。 元亀元年(1570年)参議。極位極官は正二位権大納言。 天正10年(1582年)6月1日(本能寺の変前日)、准大臣勧修寺晴豊と共に、正親町天皇と誠仁親王の勅使として織田信長の上洛を祝うために本能寺に出かけている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甘露寺経元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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