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甘露寺 経遠(かんろじ つねとう)は、安土桃山時代の公家。 堂上家(名家、藤原北家高藤流勧修寺嫡流)である、甘露寺家の28代目当主。 == 経歴 == 准大臣・勧修寺晴豊の次男で、権大納言・甘露寺経元の養子となる。母は陰陽頭兼刑部卿・土御門有脩の娘。養子に右兵衛佐・甘露寺豊長(権中納言・正親町三条公仲の子)。 官途は、正四位上・蔵人頭、右中弁。 法名は、禅空。慶安手鑑などに筆蹟が有り、名筆の誉れ高い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甘露寺経遠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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