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生田 敦夫(いくた あつお、1960年(昭和35年)・京都市生れの新古美術・文化財保存修復師、装幀製本家・近代文学研究・著述家。雅号に「洗竹亭」「裏山鹿楼」「裏飯借楼」「花折鎮鯰居士」「酔多過楼」他。 ==人物== 父は仏文学者・生田耕作。 祖父は、富山県と岐阜県境の平家谷・五箇山(富山県東礪波郡五箇山(世界遺産))3村(上平村、平村、利賀村)の初代村長・生田長四郎の孫で、祇園の一流料理人(割烹ちとせ)。 1980年代に学業を放棄、アフリカ・アラブ・インド・東南アジアほか国内外、第三世界を主に数年に渡り放浪。 1988年、富山県在住の日本画家・藤森茂夫(故人)アトリエに寄宿師事。 1990年、京都へ戻り、第三世界からの輸入貿易を始める。後にケニア政府観光局西日本営業を担当。 1994年、経師大入百太郎工房にて、修復・製本技術を学ぶ。 1997年、独立。新技術の開発・保存修復並びに装幀製本、数千点。 書籍収集家としても知られる。 父・生田耕作と共に収集を続けた泉鏡花コレクションは、点数の多さとクオリティーが高く評価されている。 2004年(平成16年)に「生田コレクション」として全点、石川県金沢市の泉鏡花生家跡にある泉鏡花記念館に収まる。 尾崎紅葉と共に硯友社を立ち上げた、忘れられた明治の文豪・江見水蔭を発掘。近代文学書籍探求の第一人者・大阪浪花書林の梶原氏(故人)と「江見水蔭特輯」を編纂、水蔭の復権を成す。 「陰翳礼賛・日本の灯について」(京都造形芸術大学春秋座)、「書籍保存における修復を考える」(奈良県立図書情報館)他、講演多数。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「生田敦夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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