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生類憐れみの令 : ウィキペディア日本語版
生類憐れみの令[しょうるいあわれみのれい]

生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい、生類憐令)は江戸時代元禄期に出された多数のお触れ(法令)のことである。
== 概要 ==
江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令を制定した。「生類憐みの令」は、1本の成文法ではなく、135回も出された複数のお触れを総称する。何度も発せられたのは出しても守られなかったため。24年間で処罰された事件は69件〔http://book.asahi.com/author/TKY200704110219.html〕。魚類貝類虫類などにまで及んだ(犬ばかりに限らず、惣じて生類、人々慈悲の心を本といたし、あはれみ候儀肝要の事)ため、「天下の悪法」とも言われる。
=発布した理由=
諸説あり
*綱吉が丙戌年生まれのため特に犬を保護した
*長寿祈祷のため
*横行する捨て子への対策(捨て子これ有り候はば、早速届けるに及ばず、その所の者いたはり置き、直に養ひ候か、または望みの者これ有り候はば、遣はすべく候。急度付け届けるに及ばず候事)
*綱吉が跡継ぎがないことを憂い、母桂昌院が寵愛していた隆光僧正の勧めで発布
当初は「殺生を慎め」という訓令的お触れだったが、違反者が減らないため、ついには御犬毛付帳制度をつけて犬を登録制度にし、また犬目付職を設けて、犬への虐待が取り締まられ、元禄9年(1696年)には犬虐待への密告者に賞金が支払われることとなった。
=運用状況=
地方では、生類憐みの令の運用はそれほど厳重ではなかったようである。『鸚鵡籠中記』を書いた尾張藩士の朝日重章は魚釣りや投網打を好み、綱吉の死とともに禁令が消滅するまでの間だけでも、禁を犯して76回も漁場へ通いつめ、「殺生」を重ねていた。大っぴらにさえしなければ、魚釣りぐらいの自由はあったものと思われる。また、長崎では、もともと豚や鶏などを料理に使うことが多く、生類憐みの令はなかなか徹底しなかったとみられている。長崎町年寄は、元禄5年(1692年)および元禄7年(1694年)に、長崎では殺生禁止が徹底していないので今後は下々の者に至るまで遵守せよ、という内容の通達を出しているが、その通達の中でも、長崎にいる唐人オランダ人については例外として豚や鶏などを食すことを認めていた。
=廃止=
綱吉の死後、正徳の治により宝永6年(1709年)早速犬小屋の廃止の方針などが公布され、犬や食用、ペットなどに関する多くの規制も順次廃止(ただし、牛馬の遺棄の禁止、捨て子や病人の保護などは継続した)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「生類憐れみの令」の詳細全文を読む



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