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生駒吉乃 : ウィキペディア日本語版
生駒吉乃[いこま きつの]

生駒 吉乃(いこま きつの、享禄元年(1528年)? - 永禄9年5月13日1566年5月31日))は、戦国時代の女性。織田信長側室で、信忠信雄徳姫(見星院)の母〔菩提寺位牌裏書による。〕。法名は久庵桂昌大禅定尼。
== 出自・生涯 ==
馬借を家業としていた生駒家宗の長女。名は『前野家文書』で吉乃(吉野)と創作されるが実名ではない。
初めは土田弥平次に嫁ぐが、弘治2年(1556年)に夫が戦死し、実家に戻っていたところを信長に見初められ側室となった。信忠・信雄・徳姫を産んだが(後述)、産後の肥立ちが悪く死亡、荼毘に伏された。信長から香華料として660石が贈られる。
その後、石高は減るものの豊臣秀吉徳川家康らも追認(朱印状黒印状)されている。柏原織田家を招待し、200回忌、300回忌法要が営まれる。
信長正室濃姫には子がなく、養子となった吉乃の長男・信忠が嫡子であるとされ、結果、実質上の正室もしくは近い扱いを受けていた「信長最愛の女性」という説がある(後述)。
菩提寺と荼毘地に墓碑が存在する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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