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産別会議 : ウィキペディア日本語版
全日本産業別労働組合会議[ぜんにほんさんぎょうべつろうどうくみあいかいぎ]
全日本産業別労働組合会議(ぜんにほんさんぎょうべつろうどうくみあいかいぎ)は、戦後初期に存在した日本における労働組合ナショナルセンター。略称は産別会議(さんべつかいぎ)。
== 歴史 ==

=== 結成から全労連加盟まで ===
1946年8月19日、電産、国鉄、鉄鋼、機器、全炭など21単産、当時の組織労働者の40%以上にあたる〔遠藤公嗣「産別会議 さんべつかいぎ」平凡社世界大百科事典〕組合員163万人をもって結成された。
組織系統では左派のナショナルセンターの位置にあり、右派日本労働組合総同盟総同盟)(組合員85万人)より多くの労働者を組織し、2・1ゼネスト、労働立法の制定、産業復興、最低賃金制の確立、労働協約の締結など、戦後初期において日本の労働運動において重要な役割を果たした。世界労働組合連盟世界労連)とも友好関係にあった。総同盟が府県連合会を基礎としていたのに対し、産別会議は産業別労働組合を基礎とし、世界労連の基本綱領に基づく綱領をもっていた〔。
日本の敗戦後急速な盛り上がりをみせてきた労働運動は、1946年春以来、連合国軍最高司令官総司令部と日本政府による生産管理の否認、大量解雇、大衆示威行動禁止などの厳しい弾圧を受けて、戦後最初の後退を余儀なくされていた。こうしたもとで結成された産別会議は、馘首絶対反対、最低賃金制の確立と待遇改善、産業別統一団体協約の獲得、吉田茂内閣打倒の目標をかかげた共同闘争によって、この苦境の打破をめざした。同年秋、労働側は国鉄、海員の両単産における大量馘首の撤回や、大幅賃上げなどの成果をおさめ、労働運動は翌1947年二・一ゼネストへむけて再び高揚することとなった。この闘争は産別十月闘争と呼ばれ、戦後数年間の組合攻勢期の頂点をなす争議の一つに数えられている〔河西宏祐「産別十月闘争 さんべつじゅうがつとうそう」平凡社世界大百科事典〕。
1947年3月10日、単一のナショナルセンターへの第一歩として結成された全国労働組合連絡協議会(全労連〔全国労働組合連絡協議会は、1989年結成の全国労働組合総連合と同一略称別組織〕)に総同盟とともに加盟。全労連は、組織人員420万人に達し、世界労連との連帯活動をすすめた〔吉田健二産別会議旧蔵パンフレット 3 全労連 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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