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棚下 照生(たなか てるお、1934年3月22日 - 2003年没月日不詳)は、日本の漫画家。本名、田中照生。児童向け剣戟マンガで人気となったが、その後は青年誌に活動の場を移し、「女侠客・股旅もの」の作品を多数発表、映像化作品も多い。代表作は『ヒマラヤ天兵』『めくらのお市物語』『旅がらすくれないお仙』など。妻は元・女優の松山容子。 == 来歴 == 宮崎県延岡市生まれ。16歳のときに単身上京し、戦災で焼けた公衆トイレをねぐらにしながら、新聞配達や給仕で生計を立て、独力で漫画を勉強した。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー〔『劇画・マンガ家オール名鑑』 p252 徳間書店〕。1959年から1月から1960年6月まで「少年ブック」に連載された『ヒマラヤ天兵』が人気を博し、テレビドラマ化(KRテレビ、1959年8月~1960年9月)〔主演・松本松之助(現・三代目 市山松翁)。三田佳子のデビュー作品でもある。提供・極洋捕鯨株式会社(現・株式会社極洋)。〕。 少年誌への投稿漫画がきっかけで寺田ヒロオと知り合い、親交を深めた。電電公社(現・NTT)に勤めていた寺田をプロ漫画家に誘い、上京を勧めたのは棚下だという。しかし、上京後「トキワ荘」のリーダー的存在となった寺田に対し、棚下はそうした仲間意識や連帯感を好まず、「生きるために」漫画を描いた。また、傍らには常に酒を離さず、稼いだ金は遊興費に注ぎ込むなど、無頼を貫いた〔生真面目な寺田に対して、入ってくる原稿料を芸者遊びや酒につぎ込む無頼派の棚下。一見「水と油」のような組み合わせだが非常に気が合い、「トキワ荘」では話のわかる兄貴分だった寺田も、棚下の前では悩みを吐露していたという。 〕。 その後、一時筆を絶つが、芳文社の編集長・稲葉武太郎に請われ、1966年から大人向けの長編漫画として「女侠客物」を描き始める。1967年に発表した『めくらのお市物語』〔もともとは「週刊漫画TIMES増刊」に掲載された『白杖お閃』をモチーフにリニューアルしたもの。〕(週刊漫画TIMES連載)がヒット。1969年に松竹で松山容子主演の下、映画シリーズ化(のちに日本テレビ / ユニオン映画でテレビドラマ化)され、1968年には『旅がらすくれないお仙』(週刊漫画サンデー連載)が同じく松山と大信田礼子主演でテレビドラマ化(東映京都テレビプロダクション / NET製作)。同作は松山にとっても代表作の1つとなり、これが縁で1971年に松山と結婚した。 他に映像化された作品として『ハンターお竜』(プレイコミック連載)を原案とした『女殺し屋 花笠お竜』(主演・久保菜穂子、1969年、東京12チャンネル / 国際放映)や、『笹笛お紋』(主演・安田道代、1969年7月26日公開、大映作品)、『モナリザお京』(「ヤングレディ連載、主演・渥美マリ、1971年6月23日公開、大映 / ダイニチ映配)などがある。 棚下の描く、柔かい曲線で描かれる女性には定評があり、草森紳一は著述の中で、小島功〜棚下〜石ノ森章太郎の3人の漫画家の共通点として、「色気のある線」を挙げている。しかし、70年代以降は青年誌のリアルな画調の劇画の隆盛に押され、発表作も減っていった。 2003年、肝硬変のため死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「棚下照生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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