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田中玉 : ウィキペディア日本語版
田中玉[でん ちゅうぎょく]

田 中玉(でん ちゅうぎょく)は清末民初の軍人。北京政府安徽派に属した有力者。薀山
== 事跡 ==

=== 北洋陸軍での昇進 ===
1884年光緒10年)、淮軍葉志超が率いる正定練軍が山海関に駐屯した際に、随営武備学堂が設立され、田中玉はこれに入学した。同学堂では、盧永祥鮑貴卿など、後の北洋系軍人と交遊している。1885年(光緒11年)、天津武備学堂砲兵科に入学し、優秀な成績をあげた。
1887年(光緒13年)の卒業後、田中玉は葉志超の下に配属される。1894年(光緒20年)、朝鮮の要望に従い、甲午農民戦争鎮圧のために葉志超は朝鮮に派遣され、田や鮑貴卿もこれに随従した。同年7月に日清戦争が勃発すると、朝鮮で日本軍を相手に戦うことになった。しかし葉は戦意を喪失して逃亡し、これに連座して田らも免職された。
1895年(光緒21年)、袁世凱が天津で新軍を編成すると、田中玉も再任用され、新建陸軍右翼快砲隊営幇帯に任じられた。まもなく、新建陸軍右翼砲隊領官に異動した。1899年(光緒25年)、武衛右軍砲隊統領官に任命される。1902年(光緒28年)には北洋常備軍第1鎮砲隊第1標管帯に任命され、参将(大佐に相当)となった。
1904年(光緒30年)、両広総督岑春煊広東省で新軍を創設すると、田中玉が協統として任用された。1907年(光緒33年)、東三省総督徐世昌の下に転じ、督署練兵処督練公所総参議兼東三省講武堂首任監督に任命された。1910年宣統2年)、江蘇巡撫程徳全の下に転じ、江蘇新軍第23混成協統領に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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