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田中道夫[たなか みちお]
田中 道夫(たなか みちお、1951年2月25日 - )は兵庫県競馬組合所属の元騎手、調教師である。兵庫においては1978年から1991年まで14年の長きに渡ってリーディングジョッキーの座を維持し続け、1989年にはワールドスーパージョッキーズシリーズで準優勝。「園田の帝王」と謳われた。騎手を引退したのちも調教師として活躍し、兵庫のリーディングトレーナーに輝いている。長男の田中学は同じく兵庫県競馬組合所属の騎手。 == 経歴 ==
=== 騎手時代 === 元々は厩務員であったが、1973年12月に24歳で園田の阿部和男厩舎所属騎手としてデビューする〔ただし、免許取得は11月からである。12月に11回、1月に7回目でようやく初勝利を挙げた。〕〔〔。しかし翌年1月の初勝利までわずか18鞍しか乗れないなど、当初は騎乗機会に恵まれなかった〔。厩務員時代から収入も激減し、妻子を抱えて晩酌のビールもストローですするような有様だったが〔、当時兵庫のトップジョッキーの一人であった石川昇からも「田中君のスタートは巧い」と認められたように、着実に技術に磨きをかけていく〔。また所属の阿部和男調教師も、馬主から田中を下ろすよう迫られた際には、当時厩舎に6頭しか馬がいなかったにもかかわらず、「それなら馬を引き揚げてください」と一歩も引かずに田中を庇ったという〔。 こうした周囲のサポートと本人の努力によって成績は年々上向いていき、1978年には石川昇から兵庫のリーディングジョッキーを奪取〔。以後寺嶋正勝、保利良次らとの間で厳しい競争を演じつつ、年間200勝達成3度を含め14年間にわたってリーディングの座を保ち続けた〔。1982年と1988年には、地方競馬全体のリーディングジョッキーにも輝いている〔。リーディング上位に顔を出してからも不思議と重賞勝利と縁がなかったが、1980年に新春賞をトウカイで制してようやく重賞初勝利〔。その後は重賞勝ちを量産し、1983年には当時年間16個施行されていた兵庫の重賞競走のうち、半数にあたる8個を制している〔。1989年には、ワールドスーパージョッキーズシリーズで準優勝の好成績を収めた〔同シリーズには1991年にも出場を果たしている。〕〔。 1991年、日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞〔。1992年には年末に騎乗停止を受けたことも響いて小牧太にリーディングの座を奪われたが〔、1993年9月13日には地方競馬通算3000勝を達成〔。この年にはNARグランプリ特別賞も受賞している〔。だが「思うように身体が動かなくなった」ことから、1995年9月27日を最後に騎手を引退した〔。地方競馬における通算成績は16860戦3164勝。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中道夫」の詳細全文を読む
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