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仲 道斎(ちゅう どうさい、享保7年(1722年) - 寛政元年11月18日(1790年1月3日))は江戸時代中期の漢学者。阿波国出身。諱は和、字は文平。「仲」は田中の修姓で、京都時代は「中」字を用いた。 == 概要 == 生家関家は200石の土佐藩士だったが、祖父は致仕して阿波国阿波郡林村(阿波市阿波町)に移り、父が徳島城外斎田(徳島市昭和地区)に移った。 道斎は享保7年(1722年)阿波国に生まれ、故あって母方の田中家を継いだ。古文辞学に傾倒し、元文2年(1737年)京都に上って寺町通錦小路了蓮寺の僧無相文雄に音韻学を学び、私塾を開いた。また、長崎にも留学して唐音を学んだ。 当初明の王世貞、李攀竜等を学んだが、後に不自然な擬古文として批判し、唐の韓愈、柳宗元等を模範とした。尺牘は袁宏道を模範とした。茶、甘藷を好み、酒、音楽を嫌った。篆刻に長じた。 脚気、マラリア等を患うなど元来病弱で、宝暦8年(1758年)頃肺疾のため徳島に帰郷し、寛政元年(1789年)11月18日病没した。墓碑は南佐古三番町清水寺後山墓地にあり、墓石はない。 妻光は喜多野家出身で、文化元年(1804年)没。子は僧となった霊真のほか、二女がいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仲道斎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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