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田久保裕一(たくぼ ゆういち)は、日本の指揮者。千葉県習志野市秋津在住〔。 == 略歴 == 船橋市立前原小学校在学中の4年生の時より同校の合奏クラブに所属した。高校はオーケストラの部活がある千葉県立船橋高等学校に進学。船橋高校在学中に指揮を始める〔母校とわたし:県立船橋高校/2 指揮者・田久保裕一さん /千葉 毎日新聞 2005.01.20 地方版/千葉 22頁 写図有 (全1,342字)〕。高校2年生のときに、小学校の合奏グラブのOBらと集まり「ウインドミル・オーケストラ」というアマチュアオーケストラを創設し、指揮者と初代団長に就任する〔。 東京学芸大学音楽科卒業〔ディヌ=クレスク国際指揮者コンクール 田久保裕一氏と清水宏之氏が優勝分ける 1994.11.28 読売新聞 東京夕刊 15頁 (全109字)〕。音大卒業後は1980-1992年まで小中学校の音楽教師を務めながらアマチュアオーケストラの指揮を続けた〔。1988年、田久保が30歳のときに母親が死去〔。母の死去を転機に、「人生どうなるか判らない」と悟り〔、1992年に教師を退職しプロ指揮者となる〔。当時35歳であった。 1994年11月、ルーマニア・ブラショフ市で開催された第4回「ディヌ・ニクレスク」国際指揮者コンクールでグランプリを受賞する〔〔仙台市民交響楽団の定期演奏会、指揮は田久保裕一/13日、仙台で 1999.06.07 河北新報記事情報 (全387字) 〕〔。また審査員特別賞「ルーマニア現代音楽演奏賞」と聴衆特別賞も同時に受賞した。同コンクールで優勝するのは日本人として初〔。 1999年には日本人指揮者として初めてカザフスタンに招かれ〔、旧首都アルマトイ市で開催される記念行事「アックジョール2030」で、同市立オーケストラを指揮した〔習志野・田久保裕一さん、異国の地で初タクト--カザフスタン・アルマトイ /千葉 毎日新聞 1999.05.25 地方版/千葉 写図有 (全686字)〕。 スロヴァキア放送交響楽団・ルーマニア室内管弦楽団・広島交響楽団・新星日本交響楽団・東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団・京都市交響楽団といった主要オーケストラで指揮経験を持つ。チェロを演奏することも出来、1000人のチェロ・コンサートでは度々指揮と指導を勤めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田久保裕一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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