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田代 順七(たしろ じゅんしち)1900年(明治33年)3月13日 - 1985年(昭和60年)10月11日)は、昭和期の洋画家。現在の熊本県玉名市出身。 教員を務める傍ら熊本在住者として初めて帝展入選を果たし、以後1985年まで、文展(文部省美術展覧会、現在の日展)、日展に連続出品。具象絵画団体東光会支部としての銀光会を結成し、熊本の洋画史をリードしながら郷土熊本の自然の美をテーマに一貫して具象絵画の世界を追求、熊本における美術振興に寄与した。 その絵画精神は自然観照にもとづく美学の実践であり、力強く表現されている。 画業60余年、とりわけ1950年代中頃から展開する「球磨川」「天草」そして晩年の「阿蘇」シリーズの作品は、田代芸術の写実観を如実に物語っている。 == 経歴 == *1900年3月13日 熊本県玉名郡築山村山田(現玉名市山田)に生まれる。 *1918年 看板屋に入り独学で油絵を勉強。 *1926年 玉名郡神尾小学校に図画専科正教員として勤務。 *1933年 東光展初入選。 *1934年 熊本在住者として初めて帝展入選を果たし、以後1985年まで、文展(文部省美術展覧会、現在の日展)、日展(日本美術展覧会)に連続出品。これを機に太田黒幸、松岡正直、米村潤之らと具象絵画団体東光会支部としての銀光会を結成する。 *1936年 熊本市立高等女学校(現熊本市立必由館高等学校)教諭となる。(1960年退職) *1955年 「河畔」で日展特選。 *1968年 熊本女子短期大学(現尚絅大学短期大学部)教授となる。 (1975年退職) *1971年 熊本県美術家連盟が結成され初代会長となる。 *1973年 熊本県教育委員会から第26回熊本県近代文化功労者として顕彰される。 *1974年 地方文化功労者として叙勲(勲五等双光旭日章)。 *1980年 熊本県文化懇話会から第8回芸術功労者として表彰される。 *1985年 熊本県立美術館にて「田代順七展」開催。同展開催中に死去。 *1996年 「熊本市所蔵品展-熊本の画家たち」(熊本県立美術館分館)。 *2003年 絵画作品が20点熊本市に寄贈される。 *2004年 「キュレーターズ・セレクション CAMKコレクションⅠ」(熊本市現代美術館) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田代順七」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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