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田口弼一[たぐち すけいち]
田口 弼一(たぐち すけいち、1882年(明治15年)10月8日 - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の官僚、政治家。法学博士。 ==経歴== 昭和前期に1930年から8年にわたり衆議院書記官長を務め、藤沢幾之輔、中村啓次郎、秋田清、浜田国松、冨田幸次郎、小山松寿の6代の議長を補佐し、議会振粛のために尽力した。この期間は、濱口内閣から第1次近衛内閣までに当たり、民政党・政友会の二大政党による政党内閣とその終焉(五・一五事件、1932年)、満洲事変・満州国建国(1931年~1933年)、二・二六事件(1936年)、斎藤隆夫の粛軍演説(1936年5月7日)、帝国議会議事堂の竣工(1936年11月7日)、日中戦争の勃発(1937年)があった時期である。 その退任後、貴族院議員となり、終戦直後の衆議院議員選挙法改正案の審議の際には特別委員となる等、国政審議に参加した。公職追放の対象となったが、解除された後、全国選挙管理委員会予備委員を務めた。 著書に、『委員会制度の研究』(1939年、岩波書店)、『帝国議会の話』(1931年、啓成社)、『地方議会運営論』(1951年、有斐閣)がある。本籍は大分県宇佐郡糸口村(後、四日市町を経て宇佐市)。号は「醒軒」。正三位勲二等。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田口弼一」の詳細全文を読む
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