|
田名部 匡代(たなぶ まさよ、1969年7月10日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(3期)、民主党青森県連代表。元農林水産大臣政務官(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)。 父は農林水産大臣、参議院議員、衆議院議員、無所属の会代表等を歴任した田名部匡省。 == 来歴 == 青森県八戸市生まれ。八戸市立吹上小学校、八戸市立第一中学校、青森県立八戸東高等学校、玉川学園女子短期大学卒業。短大卒業後は父・田名部匡省の秘書を務める〔。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で青森3区から出馬したが、自由民主党の大島理森に敗れ、重複立候補していた比例東北ブロックでも次点で落選した。2003年、日野市朗の死去により繰り上げ当選。同年の第43回衆議院議員総選挙に青森3区から民主党公認で出馬するが、再び自民党の大島に敗れ、比例東北ブロックでも惜敗率0.1%の僅差で落選した。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、前回に比べ青森3区での得票数は大島に大差をつけられるも、比例東北ブロックで復活し、2年ぶりに国政に復帰。2009年の第45回衆議院議員総選挙では青森3区で大島を猛追し、一時は日本テレビが大島の選挙区落選を報じ大島自身も選挙事務所で支持者に対する「お詫び会見」を行うもこれは誤報であり、367票差で田名部が敗れ、比例復活により3選。 2010年9月、菅第1次改造内閣で農林水産大臣政務官に任命され、菅第2次改造内閣まで務めた。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙でも大島に敗れ、比例復活もならず落選。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙でも大島に敗れ、比例復活もならず落選。 2015年、2016年7月の第24回参議院議員通常選挙に青森県選挙区から民主党公認で立候補することが内定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田名部匡代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|