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田名部 匡省(たなぶ まさみ、1934年(昭和9年)12月7日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第17代)などを歴任した。 == 来歴・人物 == 青森県八戸市出身。次女は民主党元衆議院議員の田名部匡代。元アイスホッケー日本代表監督。北京オリンピックを支援する議員の会の副会長を務める。 自民党出身で、細川護熙・羽田孜政権に参加後、鳩山由紀夫政権までの間、自民党との連立政権(自社さ・自自公等)に参加することなく、一貫して選挙による政権交代を目指した国会議員の一人である。 地元八戸市では、大島理森との通称「八戸戦争」により、市を二分している状況であることで知られる。 2010年の第22回参議院議員通常選挙に出馬せず、政界引退を表明した。民主党からは元アナウンサーの波多野里奈が田名部の後継で出馬したが、自民党公認の山崎力に敗れ、民主党は青森県選挙区の改選議席を失った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田名部匡省」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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