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田尻敢[たじり いさむ] 田尻 敢(たじり いさむ、英文文献による、文献によっては「ひろし」〔玉木愛子『この命ある限り』保健同人社、1955年 第3版、p.141の15行、遺稿集の内田守によると、俳句などにおいて ひろしとある。〕1902年 - 1966年)〔生年は遺稿集による。日本近現代医学人名事典によると1901年。〕は、日本の医学者、皮膚科医。ハンセン病の医師で国立療養所長島愛生園、国立療養所菊池恵楓園(ここでは園長)、国立療養所多磨全生園などで研究した。1955年にacute infiltration of leprosyという概念を提案した。〔Acute infiltration of leprosy Int J Lepr 23,370-84,1955〕 ==略歴== 1902年5月 東京で金原磊の5男として出生。16歳時、田尻家の養子となる。1930年3月 千葉医科大学卒業 同5月 全生病院に医務嘱託。1931年 長島愛生園医官 1932年 西村みね子と結婚 1934年 長島愛生園医務課長 1935年5月 千葉医科大学より 医学博士 博士論文の題は「呼吸器の癩」。 〔博士論文書誌データベース〕 1944年・1945年 2回応召、1・2カ月で解除 1947年 多磨全生園医官 1955年 医務課長 1957年 沖縄出張(4ヵ月)1958年 菊池恵楓園園長 1963年 多磨全生園第2内科医長 1966年11月21日、 心不全で死去 同日 従3位勲2等瑞宝章を贈られる
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田尻敢」の詳細全文を読む
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