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田島 義文(たじま よしぶみ、1918年8月4日 - 2009年9月10日)は、日本の俳優。兵庫県神戸市出身、血液型B型。 == 来歴・人物 == 1937年、芸術小劇場の創立に参加。1941年に日本大学藝術学部演劇科を中退する。1946年、劇団俳優座に入団し、翌年『女優須磨子の恋』(松竹・溝口健二監督)で映画デビュー。1954年、俳優座を退座し、映画製作を再開した日活に入るが、間もなく退社。1957年からは東宝と専属契約を結び、『ふんどし医者』(1960年)、『どぶろくの辰』(1962年)などで渋い演技を見せ、いぶし銀の名バイプレイヤーとして活躍した。東宝を退社後は、金子信雄が主宰する演劇グループ「演劇人クラブ・マールイ」に参加、舞台に出演するほか、後進の育成・指導にもあたった。 特撮作品への出演も数多く、東宝では本多猪四郎監督の本多組の常連であり、監督が自宅で主宰する恒例のパーティーでも常連メンバーだった。円谷プロのウルトラシリーズの原点である『ウルトラQ』には準レギュラーで登場。東宝を退社後は東映など他社作品にも活躍の場を広げ、ヤクザ映画などで味のある個性を発揮した。時代劇の悪家老・悪徳商人役でもお馴染み。 1984年公開の『ゴジラ』では十数年ぶりのゴジラ映画出演を果たした。田島自身も、久しぶりの特撮映画の出演を喜んでいたという。 役柄については、その場で完全燃焼するタイプだったようで、1980年代に『ウルトラQ』の役柄についてインタビューされた際には、「出演していたことも憶えていない」と答えている。 2009年9月10日、食道癌で死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田島義文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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