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田村崇顕[たむら たかあき]
田村 崇顕(たむら たかあき)は、江戸時代から明治時代の大名・華族(子爵)。陸奥一関藩第11代藩主。 == 生涯 == 安政5年(1858年)11月20日、陸奥仙台藩一門筆頭・角田石川氏第13代当主・石川義光の九男として生まれる。幼名は鶴太郎。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争に敗れた同母兄の邦栄が隠居させられたため、急遽、兄の養子となって陸奥一関藩を相続した(仙台藩主・伊達慶邦の猶子として入嗣)。 明治2年(1869年)3月に版籍奉還を行い知藩事となっている。明治12年(1879年)2月には警視方御用掛となった。明治15年(1882年)、兄の邦栄に家督を返還したが、明治20年(1887年)に兄が死去すると、再び田村家の家督を相続し、子爵位を襲爵した。 大正11年(1922年)12月11日死去。享年65。田村家の家督と爵位は、甥の丕顕(邦栄の子)が相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村崇顕」の詳細全文を読む
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