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田村顕頼[たむら あきより] 田村 顕頼(たむら あきより、生没年不詳)は、戦国時代の武将で、田村氏の家臣。田村盛顕の次男で、義顕の弟。入道して月斎と号した。宮内少輔。 ==人物・来歴== 隆顕・清顕に仕えて田村家中で重きをなし、合戦においては軍師を務めた。謀略に優れ、周辺諸氏からは「攻めの月斎」と恐れられたという。永禄2年(1559年)、隆顕とともに二階堂氏の今泉城に出陣して攻落し、今泉城の城代となった。清顕死後の家中騒動では伊達方についた。相馬義胤が三春入城を図ったが、顕頼はこれに銃撃を加えて阻止している。 天正17年(1589年)の伊達氏による二階堂氏の須賀川城攻めにも従軍した。 顕頼の父の盛顕の没年は長享元年(1487年)といわれており、その前後の生まれとしても須賀川城攻めの際は100歳を超えていることになり、その出生は不確かな面もある。 たむらあきより
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村顕頼」の詳細全文を読む
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